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『新編武蔵風土記稿』
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八幡社 除地三段四畝,村の中央に少し高き処にあり,此地の鎮守なり本社二間半に二間,南に向ふ,前に石階十六級及び石の鳥居あり,この鳥居両柱の間七尺許,祭禮年々正月九月共に十五日神楽を奏せり,村内円長長慶二寺の持なり,本社に向ひ右の方に四間半に三間半の庵あり,別当所より僧を置て守らしむ,末社七面社 白鷺明神社 天満宮 稲荷社 以上五社,何れも社地に安置す,共に小祠なり,

昌平坂学問所地理局 「新編武蔵風土記稿」

「三段四畝」は1020坪(約3372平米)。「村の中央に少し高き処にあり」とあることから,『新編武蔵風土記稿』が編纂された江戸時代後期(化政時代)の雪ヶ谷村は現在の石川台駅周辺を中心とした丘陵地に囲まれた谷あいに栄えていたことが見えます。

「二間半に二間」は,およそ4.5米×3.6米。「七尺」は,およそ2米。「級」は階段の段を数える単位です。社殿の大きさは4.5米×3.6米で,南向きに鎮座されていました。社殿の前には16段の石段と幅2米の石製の鳥居があったことが分かります。この頃の社殿は,現在の社殿より一段低いところに鎮座されていたと推測できます。

当時の末社は,七面社(七面大明神),白鷺明神社(日本武尊),天満宮(菅原道真公),稲荷社(宇迦之御魂命)。文献には五社とありますが,もう一社(一柱)は不明です。現在の末社は,水神社(水波能売命),稲荷神社(宇迦之魂命),猿田彦神社(猿田彦命),加藤神社(加藤清正公),天神社(菅原道真公),大山祇神社(大山祇命)の七社となっています。

円長寺(現・南雪谷5丁目)と,長慶寺(現・東雪谷5丁目)の二寺が別当を勤め,本社社殿の右手に僧侶が執務に用いる庵室がおかれていました。庵室は「四間半に三間半」(およそ8.2米×6.4米)とありますので,社殿より大きかったことが分かります。

<参考資料>

  • 大田区史編さん委員会編(1977) 『大田区史』(資料編 地誌類抄録) 東京都大田区.
  • 幕府昌平黌地誌編纂局編(1817) 『新編武蔵風土記稿(巻之四十五) 荏原群之七 馬込領』 昌平坂学問所地理局.

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