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『新編武蔵風土記稿』
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八幡社 除地三畝二十三歩,村の南の方にあり,本社九尺四方拝殿九尺に二間稲荷七面の二神を相殿とす,村の鎮守なり古は下に載たる八幡を鎮守とせしが,其地の隔たりて便あしければ後年当社を鎮守とすと云,祭禮毎年九月十五日,村内樹林寺の持,○八幡社 除地一段三畝十五歩,池上本門寺の後のなる耕地にあり,九尺に二間の社なり,祭禮は八月十五日,本門寺の持,

昌平坂学問所地理局 「新編武蔵風土記稿」

「三畝二十三歩」は113坪(約374平米)。道々橋村は現在の仲池上一丁目,東雪谷五丁目、久が原一丁目,久が原二丁目,南雪谷五丁目、北嶺町の夫々一部となります。現在,地名としては残っていませんが,自治会の名称や橋梁,交差点にその名を残しています。神仏混淆の比は,道々橋八幡神社より東に150メートルほど離れた日蓮宗の樹林寺がの別当として奉仕していました。

「村の鎮守なり古は下に載たる八幡を鎮守とせしが,其地の隔たりて便あしければ後年当社を鎮守とすと云」と記されていることから,もともとは「池上本門寺の後のなる耕地」に鎮座されていた八幡社を鎮守様としてお祀りしていたことがわかります。「池上本門寺の後のなる耕地」とは,都営地下鉄浅草線の車両基地もしくはその周辺,すなわち道々橋村飛地の一つ「道々女木」と推測できます。道々橋と同様に,道々女木という地名も残っていませんが,都営地下鉄浅草線の車両基地に「道々め木橋」という名前の橋が架かっています。

<参考資料>

  • 幕府昌平黌地誌編纂局編(1817) 『新編武蔵風土記稿(巻之四十五) 荏原群之七 馬込領』 昌平坂学問所地理局.

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