雪ヶ谷散歩 > まちの名所古跡 > 神社 > 道々橋八幡神社 > 御由緒(道々橋八幡神社)

道々橋八幡神社の御由緒

当社は,大字道々橋にあり,境内二百九十坪,社殿九尺四方,拝殿九尺に二間,祭神は誉田別命を祀る。正保の頃勧請鎮座せり。明治九年一月村社に列せられる,末社に稲荷神社を祀る。此の稲荷社は大字池上字下谷にありて八幡社と稱せしが中古此地に遷し末社として倉稲魂命を祀り稲荷社と稱するに至れりと,祭日は九月十五日なり,昔は当地樹林字なり別当なりしも神仏分離の発令に依り北川玄蕃社掌とりな現在の北川忠一となる。

田村長・池上町史編纂会 「池上町史」

道々橋村

現在,道々橋村(仲池上一丁目,東雪谷五丁目、久が原一丁目,久が原二丁目,南雪谷五丁目、北嶺町の夫々一部)が位置していた地域は久が原地区に属します。しかし,歴史的には明治11年(1878年)に池上村,雪ヶ谷村,道々橋村,石川村の4ヶ村が合同で池雪小学校を設立,池上村,雪ヶ谷村,道々橋村三村連合で戸長役場をするなど,雪ヶ谷地区と深い関わりがあります。

『池上町史』によれば,道々橋村の設立は,寛政(1789〜1801)以前。もとは,池上村の一部でしたが,伝説によりば,呑川に架かる橋梁の修繕に際し負担の闘係により紛擾をお越し遂に独立して一村となります。とどのつまり,橋の問題より独立したため,ドド橋からか道々橋となったと伝わります。

独立の際,「我らが所有する處は即ち我ら村にて他の差配を受けず」として,各所を飛び地として差配下に置きます。昭和43年(1969年)頃まで存在していた「池上洗足町」(上池台,南千束の一部)も,道々橋千束といい本村に包含していました。なお,当地には醍醐,直井,三部,石川,野口諸家が古くより住居しています。

正保年間

江戸初期,後光明天皇の時の年号。江戸幕府将軍は徳川家光。寛永21年(1644年)12月16日,後光明天皇即位のため改元。正保5年(1648年)2月15日,慶安に改元。当八幡社は,道々橋村が成立する以前より此の地に鎮座されていたことがわかります。

北川家

八王子城主・北条氏輝の末裔。後北條氏の「北」と今川氏の「川」の一文字づつをとって北川家が誕生しました。八王子城が落城した後,北川家は多摩川づたいに下り沼部村に移り住みます。明治政府の神仏判然令(慶応4年・1868)により別当制度が廃止され,寺院に代わって沼部村の名主であった北川家が本務社として雪ヶ谷八幡神社,兼務社として道々橋八幡神社,石川神社,田園調布八幡神社,多摩川浅間神社の神職を勤めることとなりました。また,北川家からは上沼部村,石川村の村長も輩出しています。

<参考資料>

  • 田村長・池上町史編纂会編(1932) 『池上町史』 大林閣.

広告