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財団法人清明会とは

財団法人清明会(以下,清明会)は,大正9年(1920年),仏教と儒教の精神を元とする東洋文化を大勢の人に広めるための啓蒙活動を目的として誕生します。その設立の趣旨は『勝海舟先生の遺蹟を保存し,且国民精神涵養に資すべき図書を蒐集し,公衆の閲覧に供えて社会教育の一端に貢献し,本会に於いて行ふたの事業と相俟ち,依りて以って,立正安国の道場たらしめん』というものでした。

清明文庫の建設

清明文庫は,清明会設立趣旨のもと,国民精神を育てるための図書の収集及び閲覧,講堂での講義開催を目的として建設された文化施設です。清明文庫の建設の際,勝精伯爵(*1)と清明会(*2)との間では「土地の寄贈」および「墓地及留魂祠保安ノ件」,そして勝海舟に関する「遺稿出版ノ件」など幾つかの契約が交わされました。道路を挟んで南側にある現在の大田区立第六中学校の敷地は,かつて勝海舟が別邸を営んでいた場所です。その別邸内にあった「洗足軒」の建物は清明会へ寄贈された土地に移築され(*3),その後昭和3年(1928)に清明文庫が完成し清明会の活動拠点として使用されました。

清明文庫の設計者,施工者は定かではありませんが,大正13年(1924年)に講堂と図書の閲覧室部分を木造,書庫を鉄筋コンクリート造とする設計図を発表し,建設の寄付を募りました。その後,全館鉄筋コンクリート造に設計変更されましたが,平面構成は概ね大正13年(1924年)の設計図を踏襲しています。

清明文庫から鳳凰閣へ

清明会が終結した昭和10年(1935年)から十数年間の沿革は不明とされています。しかし,昭和29年(1954)に所有が株式会社学習研究社に移ると,清明文庫は「鳳凰閣」と呼ばれるようになります。その後,平成12年(2000年)2月15日に「鳳凰閣」(旧清明文庫)は,昭和初期の貴重な会館建築として国登録有形文化財に登録されました。

平成24年(2012年)3月に大田区が土地を取得し,国登録有形文化財として保存されることになりました(*4)。勝海舟に関する建造物の由来および洗足池の自然環境,地域の歴史文化を活かした施設として整備が進められています。

  • (*1) 実業家。明治21年(1888年)8月23日,徳川慶喜の十男として生まれる。12歳のころ,勝海舟の孫娘である伊代子の婿として勝家に養子入りする。昭和7年(1932年)7月11日,勝家の発表では自邸にて脳溢血により死亡。享年43歳。
  • (*2) 当時の代表は第5代日本赤十字社社長を務めた平山成信男爵。
  • (*3) 昭和37年(1962年),外国人の火の不始末により焼失したため現存しない。正式な移築先の記録は確認できないが,大森六中と墓地の間(清明文庫に隣接していた)とされる。
  • (*4) 建造物は大田区が維持管理する条件で学研より寄付を受ける。

<参考資料>

  • 惠良彰紀(2017)「勝海舟のおいたち」 『地域情報紙 ふるさと千束』 2017年4月29日号(第54号),千束地区自治会連合会地,域力推進千束地区委員会.
  • ———(2011)「洗足池の今昔1」 『地域情報紙 ふるさと千束』 2011年4月29日号(第42号),千束地区自治会連合会地,域力推進千束地区委員会.
  • 佐藤清彦(1998) 「にっぽん心中考」 青弓社.
  • 東京都大田区(発行年不明) 「鳳凰閣(旧清明文庫)展示解説パネル」 東京都大田区.

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