現在,池上と聞くと「池上本門寺」や東京急行電鉄・池上線の「池上駅」周辺が思いつきます。しかし,もともとの池上(かつて「池上村」が存在していた地域)は,今日の池上より北側,即ち上池台及び仲池上付近一帯を指します。
地名の由来
池上村ハ,千束池ノ邊ニアル村ナレハコノ名起レリト云,ソレモ今ノ地形ニテハ疑ハシキコトニ思ハルレト,往古ハコノ地甚タ濶クシテ,本門寺ノ山麓マデモ池中ナリシトソ,今ニ村北馬込村ノ境ニアル千束池ハ纔ニ其形ノ殘レルナリ,カ丶ル大池ノアル地ナレハ,當村ノミニモアラス池尻池澤ナトイエル地名モ皆コノ池ヨリ起リシナリト云ヘリ
昌平坂学問所地理局 「新編武蔵風土記稿」
「新編武蔵風土記稿」によれば,「千束池」(洗足池)の周辺に位置していたことが地名の由来とさています。それも,今の地形では疑わしいと思われますが,往古の千束池はとても広大で,本門寺の山麓までも池中にあったという。今では,池上村(上池台・東雪谷)と北馬込村(馬込村の飛び地,千束村。南千束)の境にある千束池として僅かにその形が残っています。このような大池があった地のため,池上村だけでなく,池尻や池澤と言われる地名も皆この池が由来だと云わります。
池上本門寺と池上駅
一方,池上本門寺や池上駅のある池上一丁目から池上八丁目は概ね,堤方村,徳持村,市野倉村,桐ヶ谷村,下池上村にあたります。池上本門寺付近はもと池上村の一部でしたが,慶長3年(1598年)2月24日に同村より分離し下池上村と称します。鎌倉幕府の大番匠・池上宗仲の領地であった當高100石を,徳川家康が池上本門寺に寄進。御料(直轄領)と寺領を区別するために下池上村が誕生したと考えられています。また,池上駅はもとの徳持村に位置します。
<参考資料>
- 大田区史編さん委員会編(1996) 『大田区史』(下巻) 東京都大田区.
- ———(1994) 『史誌』(第40号) 東京都大田区.
- 田村長・池上町史編纂会編(1932) 『池上町史』 大林閣.
- 幕府昌平黌地誌編纂局編(1817) 新編武蔵風土記稿(巻之四十五) 荏原群之七 馬込領』 昌平坂学問所地理局.