勝海舟記念館整備活用にむけて
鳳凰閣(清明文庫)は,大正13年(1924年)に設計され,昭和3年(1928年)に竣工した会館建築で,その時代を表している貴重な歴史的建造物です。この鳳凰閣(清明文庫)を国登録有形文化財建造物として,後世に引き継ぐとともに,公園整備事業の一環として,建造物自体を見ても楽しめるよう「勝海舟記念館」として整備活用が計画されています。去る12月13日,整備前の最後の内覧会が開催されましのでレポートをいたします。
鳳凰閣(清明文庫)とは
清明文庫は,財団法人清明会によって建設された文化施設です。清明会設立趣旨のもと,国民精神を育てるための図書の収集及び閲覧,講堂での講義開催を目的とされてきました。その後,学習研究社の所有となり「鳳凰閣」と改称されます。本建物の特徴は,外観正面中央をはさんで左右対称にデザインされ,正面中央部はネオゴシックスタイルの柱4本が屋上部分まで延びています。また,窓や内部のドアはにはアール・デコ調の織物が施されて,床の幾何学模様のモザイクタイル,腰高に貼られたクリンカータイルや竣工当時の建具も現存しています。
大正後期から昭和初期の建築は,関東大震災を機に堅牢な構造が求められるようになった時代です。この頃から,公共施設は鉄筋コンクリート構造を取り入れた建築物が増えてきました。鳳凰閣(清明文庫)も鉄筋コンクリート構造で建てられた施設のひとつです。当時は現在の耐震基準がなかったため,鉄筋コンクリート構造としては脆弱な建築と,必要以上に丈夫に設計された建築の2つに分かれたそうです。鳳凰閣(清明文庫)は後者にあたります。大田区の調査では,今日でも雨漏りの報告は殆ど無く,構造上も問題ないとされています。
鳳凰閣(清明文庫)の特徴
三層構成の意匠
建物,南側が正面入り口となっています。ギリシャパルテノン神殿以来の欧州では伝統的な建築スタイルを取り入れ,基壇、主要部、頂部の三層構成となっています。
ネオゴシックスタイルの柱型
シンメトリーの正面中央部に4本の柱型が垂直に伸び,ネオゴシックのスタイルとなっています。柱型の間には,金色の網代組を模した装飾タイルが貼られています。装飾タイルの下の鉄製の窓格子も鋭角的なデザインが採用されています。
曲線を描く頂部(パラペット)
頂部(パラペット)は,表現主義の意匠を取り入れ大きな曲線を描いていています。この様式は1930年代の建築の特徴でもあります。
側面からみた鳳凰閣(清明文庫)
この建物の南側(写真奥)は2階,北側(写真手前)は3階と面白い構造となっており,これも鳳凰閣(清明文庫)の特徴と言えます。清明文庫の時代は,南側の1階は閲覧室,2階は講堂,北側(1階〜3階)は書庫として使用されていました。
書庫入り口の窪み
書庫の1階入り口付近にある窪みです。現在,何の目的でこの窪みが作られていたのは解明されていません。
南階段室①
正面入り口付近にある階段室です。この付近は保存状態も良く,竣工当時の様子を伺うことができます。腰高に貼られたクリンカータイルも竣工当時のもので,現在では入手困難な貴重な素材です。
南階段室②
階段を登り正面が貴賓室。右手が講堂です。
南階段室③
南階段室の窓枠をよく見ると,卵形に彫刻されていることがわかります。
講堂①
清明文庫2階の講堂跡です。現在は取り払われていますが,かつては正面に壇上がありました。左右の壁面で色が異なっていることが分かるかとおもいます。これは,学研所有時に2階部分がパーティッションで分けられており,別々の部屋として使用されていた名残と考えられています(壁面の装飾は竣工当時のものです)。
講堂②
講堂の天井は高く,窓も天井付近まで延びています。竣工当時は,現在のように照明技術が発達していなかったため(蛍光灯やLED照明がなかったため),窓を大きくすることで奥まで光が届くよう工夫をしていました。しかし,窓を大きくすると夏場は非常に暑くなります。まだ,エアコンが一般的でない時代でしたので,窓の上部を開閉式にすることで,洗足池から流れてくる涼しい空気を取り込んでいました。
壇上の天井
壇上の天井は曲線を描いています。曲線を描いている部分に光を当て,間接照明の効果を演出していました。
壁面/天井の装飾
屋上庭園
屋上は庭園となっており,天気のいい日は富士山を望むことができます。
まとめ
今後,どのような形で「勝海舟記念館」として整備されるかわかりません。改築前の最後の姿をここに残し,大正から昭和初期に建てられた鳳凰閣(清明文庫)の資料となれば幸いです。