中古
平安時代
- 貞觀2年(860年)
- 月日不明 – 千束八幡神社が創建。宇佐八幡の分霊を八幡山の千束神社に勧請奉斎し,武蔵国荏原郡千束郷の総鎮守となる。
- 天慶3年(940年)
- 月日不明 – 藤原忠方が「平将門の乱(承平の乱)」鎮圧のため京より武蔵国千束池(洗足池)の畔に下向。千束八幡神社を氏神として池上姓を名乗り當地に残る(日蓮聖人の門下,池上兄弟の祖とされる)。
- 永保3年(1083年)
- 月日不明 – 源義家が清原氏の内紛に介入のため奥州討伐へ向かう(後三年の役)。その途中,千束八幡神社にて戦勝を祈願する。
- 治承4年(1180年)
- 月日不明 – 源頼朝が安房国から鎌倉へ向かう途中,千束八幡神社を宿営地とする。源頼朝の前に,池に映る月のような姿のたくましい野生馬が出現。名馬「池月」の伝承となる。
中世
鎌倉時代
- 康元元年(1256年)
- 6月14日 – 池上宗仲が邸内に鶴ヶ岡八幡宮を勧請する(子安八幡神社の草創とされる)。
- 弘安5年(1282年)
- 9月8日 – 日蓮聖人が身延山を下山。病気療養のため常陸国へ湯治に向かう。
- 9月18日 – 日蓮聖人が千束郷の池上宗仲の屋敷(現在の本行寺)に到着。
- 9月29日 – 池上宗仲の邸内にあった八幡社を本門寺境内に遷宮,開眼法要し,本門寺の鎮守となる。
- 10月29日 – 日蓮聖人が池上宗仲邸において入寂される(61歳)。
- 年代不明
- 月日不明 – 千束池の池畔(現・南千束二丁目)に,七面天女を祀った小堂「御松庵」が建立される。
室町時代
- 文亀3年(1503年)
- 月日不明 – 池上本門寺の僧・福寿院日迨上人が,池上村根方(現・仲池上一丁目)に草庵を結ぶ(後の林昌寺)。
- 永禄年間(1558~69年)
- 月日不明 – 太田新六郎により,雪ヶ谷村(現・東雪谷二丁目)に雪ヶ谷八幡神社が創建される。
近世
安土桃山時代
- 天正元年(1573年)
- 月日不明 – 雪ヶ谷八幡神社,応神天皇を祭神に祀り勧請鎮座する。
- 天正9年(1581年)
- 12月19日 – 綱嶋有近祐清により,子安八幡神社が本門寺から現在地(現・仲池上一丁目)に遷宮される。
- 天正年間(1573~93年)
- 月日不明 – 長慶寺の十八代住職・十法院日親上人,長慶寺を中興開山する。
- 慶長3年(1598年)
- 2月24日 – 下池上村が,池上村より分離する(徳川家康が池上村の東南の地域を本門寺に寄進して起立)。
- 9月10日 – 長慶寺中興の祖,日親上人が示寂される。
江戸時代
- 元和2年(1616年)
- 8月?日 – 常光院日豊上人により,雪ヶ谷村(現・南雪谷五丁目)に円長寺が開山される。
- 寛永7年(1630年)
- 2月12日 – 江戸城にて身池対論(受布施を主張する身延久遠寺・日暹上人と不受不施を主張する池上本門寺・日樹上人との対論)が行われる。
- 江戸幕府は不受不施派を敗者とする結論を下し,池上本門寺・日樹上人を信州伊那に流罪とする。
- 池上本門寺は身延久遠寺・日遠上人の元に置かれる(不受不施派は拠点の1つである池上本門寺を失う)。
- 池上本門寺を追放された,林光坊,顕性坊,覚玄坊の3僧が池上村根方周辺にて活動。林昌寺を建立する。
- 6月6日 – 円長寺開山,日豊上人が示寂される。
- 2月12日 – 江戸城にて身池対論(受布施を主張する身延久遠寺・日暹上人と不受不施を主張する池上本門寺・日樹上人との対論)が行われる。
- 元禄11年(1698年)
- 月日不明 – 碑文谷法華寺(現・円融寺),不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け,天台宗に改宗(復帰)を余儀なくされる。
- 碑文谷法華寺の末寺であった長慶寺が池上本門寺の末寺に,円長寺が身延久遠寺の末寺となる。
- 月日不明 – 碑文谷法華寺(現・円融寺),不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け,天台宗に改宗(復帰)を余儀なくされる。
- 天保14年(1843年)
- 月日不明 – 子安八幡神社の新社殿が造営される。
- 嘉永5年(1852年)
- 4月8日 – 御松庵の祖師御堂が再建。久が原本光寺(池上本門寺の末寺)の庵室から,堀の内妙法寺(身延久遠寺の末寺)の境外御堂となる。
- 慶應3年(1867年)
- 10月14日 – 江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が,朝廷に政権返上を奏上。
- 10月15日 – 朝議で政権返上の奏上に対する勅許が決定。大政奉還が成立する。
近代
明治
- 明治6年(1873年)
- 7月5日 – 子安八幡神社が村社に列せられる。
- 明治11年(1878年)
- 10月15日 – 池上村,雪ヶ谷村,道々橋村,石川村の4ヶ村が合同で,道々橋村内に池雪小学校を設立。
- 明治22年(1889年)
- 5月1日 – 下池上村,桐ヶ谷村,久ヶ原村,徳持村,堤方村,市野原村,池上村(一部は馬込村に編入),雪ヶ谷村,石川村,道々橋村の10ヶ村が合併。新・池上村が誕生。
- 雪ヶ谷村は「荏原郡池上村大字雪ヶ谷」となる。
- 池上村は「荏原郡池上村大字池上」となる。
- 5月1日 – 下池上村,桐ヶ谷村,久ヶ原村,徳持村,堤方村,市野原村,池上村(一部は馬込村に編入),雪ヶ谷村,石川村,道々橋村の10ヶ村が合併。新・池上村が誕生。
- 明治37年(1905年)
- 月日不明 – 池雪小学校が池上村大字雪ヶ谷地内(現・東雪谷四丁目)に移転。
- 明治40年(1907年)
- 5月4日 – 子安八幡神社が「神饌幣帛料供進指定神社」に指定される。
大正
- 大正11年(1922年)
- 10月6日 – 池上電気鉄道(現・東京急行電鉄池上線)により蒲田 – 池上間が開業する。
- 大正12年(1923年)
- 5月4日 – 池上電気鉄道,池上 – 雪ヶ谷間が開業。
- 當地区に「雪ヶ谷駅」が開業する。
- 9月1日 – 関東大震災(大正関東地震)が発生。
- 罹災した都心部の住民が當地に流入する。以後,小農村だったまちが住宅地区へと移り変わる。
- 5月4日 – 池上電気鉄道,池上 – 雪ヶ谷間が開業。
- 大正13年(1924年)
- 7月?日 – 榮久會が創立。道々橋,千束の一帯及び上池上の一部を含む領域を区域とする。
- 大正14年(1925年)
- 7月30日 – 子安八幡神社の社殿が焼失。
- 大正15年(1926年)
- 8月1日 – 池上村は町制を施行して池上町となる。
- 雪ヶ谷は「荏原郡池上町大字雪ヶ谷」となる。
- 池上は「荏原郡池上町大字池上」となる。
- 8月1日 – 池上村は町制を施行して池上町となる。
昭和(大東亜戦争終結まで)
- 昭和2年(1927年)
- 8月28日 – 池上電気鉄道,雪ヶ谷 – 桐ヶ谷(現在廃止)間が開業。
- 當地区に「石川駅」「洗足池駅」が開業する。
- 9月?日 – 子安八幡神社,鉄筋コンクートの新社殿が造営される。
- 11月1日 – 笹丸自治會が創立。笹丸地区内居住者により組織される。
- 月日不明
- – 御松庵が,関東大震災で焼失した浅草妙福寺と合併(寺号は妙福寺となるが,現在も御松庵として親しまれている)。
- – 洗足池の池畔に,日本で初めての有料遊園地「チンカラ園」が開園。
- 8月28日 – 池上電気鉄道,雪ヶ谷 – 桐ヶ谷(現在廃止)間が開業。
- 昭和3年(1928年)
- 4月13日 – 池上電気鉄道,石川駅を石川台駅に改称。
- 6月17日 – 池上電気鉄道,蒲田 – 五反田間の全線(11.0粁)が開業する。
- 昭和5年(1930年)
- 6月?日 – 希望ケ岡自治會が創立。雪ヶ谷西山谷希望ヶ丘地区内居住者により組織される。
- 10月?日 – 洗足池周辺が「洗足風致地区」(東京で2番目の風致地区)に指定される。
- 12月7日 – 池上洗足會が創立。池上町大字道々橋の一部,大字池上字小池岡,小池下の一部に居住する者により組織される。
- 昭和6年(1931年)
- 1月15日 – 石川親交會が創立。池上町大字雪ヶ谷字石川の居住者により組織される。
- 6月1日 – 池上電気鉄道,雪ヶ谷駅を調布大塚駅と統合し雪ヶ谷大塚駅に改称。
- 9月1日 – 小池協和會が創立。池上町大字池上字平塚,小池臺,小池下,蟬山を区域とする。
- 昭和7年(1932年)
- 6月1日 – 山谷區自治會が創立。池上町大字雪ヶ谷字山谷の上方の一区画を持って組織区域とする。
- 10月1日 – 荏原郡が東京市に編入される。池上町は馬込町,東調布町,入新井町,大森町が合併し,大森区が誕生。
- 雪ヶ谷は「東京市大森区雪ヶ谷町」となる。
- 池上は「東京市大森区上池上町」となる。
- 荏原郡池上町大字道々橋字千束(旧道々橋村の洗足池付近の飛び地)が「東京市大森区池上洗足町」となる。
- 10月12日 – 小池小学校が,池雪小学校の分教場として現在地(大田区上池台二丁目)に開校。
- 11月?日 – 富岡正重が,富岡光学機械製作所(現・京セラオプテック)を,東京市大森区雪ヶ谷929(現・東雪谷四丁目)に創業。
- 昭和8年(1933年)
- 7月?日 – 洗足風致協会が設立される。
- 昭和9年(1934年)
- 月日不明 – 洗足風致協会により,弁天島厳島神社が建立される。
- 昭和11年(1936年)
- 7月1日 – 小池小学校が,東京市池雪小学校分教場から東京市小池尋常小学校として独立。
- 昭和12年(1937年)
- 7月7日 – 北京西南方向の盧溝橋にて,日本軍(支那駐屯軍)と中国国民革命軍(第二十九軍)との間で盧溝橋事件勃発。支那事変を含めた大東亜戦争の発端となる。
- 昭和16年(1941年)
- 4月7日 – 東京市東調布高等家政女学校(現・東京都立雪谷高等学校)が,間借りしていた東調布第一小学校より東京都大森区雪ヶ谷町823(現・南雪谷五丁目)に移転。
- 5月31日 – 東京市東調布高等家政女学校が,東京市大森高等家政女学校と改称。
- 12月8日 – 大日本帝国が,大英帝国とアメリカ合衆国の2国に対して宣戦布告。
- 昭和18年(1943年)
- 7月1日 – 東京市が東京府と合併し,東京都となる。
- 昭和20年(1945年)
- 4月15日 – 城南京浜大空襲。主として羽田・大森・荏原・蒲田方面に空襲(B29・202機。死者841名。焼失5万874戸)。富岡光学機械製作所,池雪小学校,池上本門寺など,多くの家屋,工場,学校や寺社が焼失する。隣接する川崎市も大きな被害が出る。
- 5月24日 – 主として麹町・麻布・牛込・本郷方面に空襲(B29・525機。死者762名。焼失6万5千戸)。雪ヶ谷地区も大きな被害を受け,雪ヶ谷八幡神社,東京都立荏原病院,小池小学校,大森高等家政女学校など,多くの家屋,工場,学校や寺社が焼失する。
- 5月25日 – 東京都立大森高等家政女学校が,調布大塚小学校に移転。
- 8月14日 – 大日本帝国がポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)を受諾。
- 9月2日 – ポツダム宣言に調印。大日本帝国の降伏により大東亜戦争終結。
現代
昭和(戦後)
- 昭和20年(1945年)
- 11月10日 – 東京都立大森高等家政女学校が,東調布第一小学校に移転。
- 昭和21年(1946年)
- 4月1日 – 東京都立大森高等家政女学校が,東京都立雪谷高等女学校と改称。
- 昭和22年(1947年)
- 3月15日 – 大森区と蒲田区が合併し,大田区が誕生。
- 5月3日
- – 区立大森第六中学校が開校。赤松小学校及び清水窪小学校にて授業開始。
- – 区立大森第九中学校(現・雪谷中学校)が開校。東調布第一小学校にて授業開始。
- – 区立大森第十中学校が開校。大田区立久原小学校にて授業開始。
- – 「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く町内会部落会又はその連合会等に関する解散,就職禁止その他の行為の制限に関する政令」(昭和22年政令第15号)により,雪ヶ谷地区の各町会・自治会などの自治組織が解散する。
- 6月10日
- – 東京都立雪谷高等女学校が,新校舎である東京都大田区久ヶ原町1200(現・久が原一丁目)に移転。
- – 区立大森第九中学校が,東京都立雪谷高等女学校内に移転。
- 昭和23年(1948年)
- 4月?日 – 区立大森第九中学校の1年次が久が原小学校内に移転。
- 10月30日 – 区立大森第六中学校が,新校舎を落成し池上洗足町392(現・南千束一丁目)に移転。
- 昭和24年(1949年)
- 3月23日 – 区立大森第十中学校が,新校舎を落成し上池上町585(現・仲池上二丁目)に移転。
- 4月?日 – 区立大森第九中学校が,新校舎を落成し雪ヶ谷町818(現・南雪谷五丁目,東京都立雪谷高等女学校の跡地)に移転。
- 昭和25年(1950年)
- 9月1日 – 区立大森第九中学校が,区立雪谷中学校と改称。
- 9月?日 – 雪ヶ谷町東中文化會,神輿,山車を建立する。
- 昭和27年(1952年)
- 10月25日 – 「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(昭和27年法律第81号)第2項により,ポツダム政令が失効。以後,雪ヶ谷地区に町内会・自治会が再組織化される。